ウェブ人間論を読んだ。

ウェブにおける匿名の意味、著作の扱われ方、ウェブによる人間の進化と話題は進む。主として平野氏が見えないウェブの未来に対しての恐れを表明し、全体としてウェブに対して希望的観測をもつ梅田氏が答えていく。その過程を通して、平野氏は、梅田氏の楽観論がかならずしも明確な根拠に基づくものでないことを悟っていき、表現の違いはあれど、ウェブに対する互いの認識にはそれほどの差異がないことを知る。梅田氏は、「何か革命的なことが起ころうとしている。先がどうなるかは誰にも予想はできないし、それは避けられないものなのだから、不安を持つより希望をもったほうがいいじゃないか」と言っているに過ぎないのだ。そのことが平野氏に理解された以上、書くことに生きる平野氏の不安は消えることはない。

平野氏が問題にしているのは、そしてみんなが知りたいと思っているのは、ウェブによって人間がどう変わっていくかという意味のウェブ・人間論ではなくて(ましてやウェブ人間・論ではない)、ウェブ自体の人間性という意味におけるウェブ=人間論なのではないか、と僕は思う。

梅田氏はグーグルに代表される検索システムがインターネットの中核技術だと語るけれども、flickr, youTube, del.icio.us, diggなどに代表されるWeb2.0型プラットフォームの出現は僕に違うものを垣間見せる。検索技術は1つのアルゴリズムがすべてを決するという意味において中央集権的であり、これはすなわちWeb1.0的なものに見える。中央集権的技術は、機械的であり、断定的であり、どこか非人間的である。そのアルゴリズムに最適化されたページが結果を飾る。

これに対して、Web2.0型プラットフォームは、人間の手作業により支えられ、個々の人間という多様なアルゴリズムの集積が事を決するという意味において分散的である。その結果の裏には少なからず人間の同意が見える。結果は、刹那的であり、意図的であり、感傷的であり、合理的でもあり、従って極めて人間的である。明確なキーワードを備えた明確なターゲットが存在する場合、検索システムは一番の近道を与えてくれるけれども、人間にとって必要なターゲットはそうでないもののほうが圧倒的に多い。Web2.0的なものにはそれらに辿り着く新しい道が垣間見える。グーグルはターゲットに対する信頼をそれに対するリンクで仮定しているけれども、Web2.0的なものでは、ターゲットに対する直接的な投票によってその信頼を作る。無記名性の投票がバーチャルなものでないのと同様に、これは極めてリアルな世界の一事象である。

僕はここに希望を持つ。ウェブ上の匿名性の問題(負の意味での)も、著作物に対するバランスのとれた解決も、人間的であるWeb2.0型プラットフォームが、これらをリアルな世界の問題として解決してくれることを。ウェブを支える世代が反エスタブリッシュメントであるのは、現在の商業主義や資本主義が非人間的に映るからであろう。かれらは、ウェブによって人間が人間らしさを取り戻せる可能性を予感しているのかもしれない。あるいは、価値の創造や富の再配分を、国家や資本主義よりも効率的かつ合理的にするシステムが、ウェブで構築される可能性を予感しているのかもしれない。それが未来への希望であるならば、それほどすばらしいものはない。

ウェブ人間論 (新潮新書) by 梅田 望夫 and 平野 啓一郎



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